「森は信太(しのだ)の森」 と枕草子にたたえられた信太の森。
現在は、かなり開発が進み、狭められていますが、聖神社(ひじりじんじゃ)の境内のあたりは、清少納言のころの信太の森の面影が残されています。 聖神社接する東北の方角にある信太の森の鏡池史跡公園 と 信太の森ふるさと館。 2002年に作られた和泉市立「信太の森ふるさと館」では、信太の森と「葛の葉物語」のことをいろいろと教えてもらえます。 「葛の葉物語」(信太妻)は、文楽、歌舞伎をはじめさまざまな芸能・小説などに取り上げられて、今日まで愛されてきました。 「葛の葉物語」(信太妻)の舞台となった信太の森をたずねたいという人々が、日本全国から来られるそうです。 信太の森ふるさと館 ← クリック こども歌舞伎「葛の葉物語」 「信太明神境内出逢いの場」 信太の森歌舞伎 ←クリック (信太の森の鏡池史跡公園HPより、画像をお借りしました) 「葛の葉物語」(信太妻)は、今も日本の各地で愛されているお話ですが、残念なことに、地元では、ほとんど知られていません。 そこで、保育園・幼稚園、小・中学生が参加する「信太の森歌舞伎こども教室」が開かれ、11月3日には、大人も加わって、信太の森ふるさと館 鏡池の前で、 「信太の森歌舞伎」が上演されました。 「鏡池」は、狩人に追われる白狐(葛の葉)を安倍保名(あべのやすな)が助けた場所であり、また、葛の葉と童子丸(後の安倍晴明あべのせいめい)との別れの場所でもあります。 聖神社の鳥居 「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」 葛の葉が、自分の正体が狐だとばれて、童子丸と別れるときに読んだこの歌・・・ 「母が恋しくなったら、尋ねておいでなさい。和泉(いずみ)の信太の森に。・・・」 では、 「うらみ」とは、どういう意味でしょうか? ふるさと館の学芸員の方によると、この「うらみ」の解釈は、かなりいろいろあるそうで、 1. 「葛の葉の裏を見よ。」 葛の葉の裏は、白い → だから、白狐であり、葛の葉という名前であった母を思い出して! 2.「人間と狐の間の越えられない 掟(おきて) をうらんでいる」 3.単なる言葉のリズム、あまり意味が無い。 などなど・・・。 聖神社本殿 聖神社は、「信太明神(しのだみょうじん)」(信太大明神)とも呼ばれ、今から約1300年前白鳳3年(675年)に天武天皇の勅願により創建されました。 安倍保名(あべのやすな)は、信太大明神に日参して、家の再興を祈願していたといわれています。 聖神社境内 境内は、きれいに手入れされていて荘厳な雰囲気です。後方は、信太の森。
by IPE-OsakaOudon
| 2006-12-25 11:28
| 大阪おうどん情報
|
最新の記事
カテゴリ
以前の記事
2011年 02月 2010年 12月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 さなえのリンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||